日本聖公会
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〔2009年10月3日更新〕
<所在地>



『感謝と賛美の食事』と題して説教をする木村司祭
主イエスが、五千人の群集に満腹するほどの食べ物を与えた奇跡物語は、マタイ、
マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書すべてに載っています。五つのパンと二匹の魚
によって五千人が養われたという奇跡は、現代に生きる私たちには信じられない出来
事ですし、イエスが生きていた時代の人にとっても同様でしょう。
イエスの奇跡は、奇跡を起こそうとして生じる奇跡ではありません。イエスの奇跡は
病に悩む人と出会い、その人を見て
『深く憐れむ』
ことから、そして五千人に食事を与える奇跡では、飼い主のいない羊のような有様の
群衆を見て
『深く憐れむ』
ことから起きています。イエスは奇跡を目的としているのではなく、自分の目の前にい
る人間の有様を見ておられます。そして奇跡は、その有様に
『深く憐れむ』
ことから生じるのです。
イエスの話を聞くために集った群衆を、イエスの弟子たちは解散させるように、イエス
に求めました。もう時間もだいぶたち、お腹も空いているだろうからというのがその理由
です。極めて合理的な判断です。しかしこの判断には、群衆に対する
『深く憐れむ』
心はありません。
ところがイエスは、弟子たちに、
『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい』
と言われます。弟子たちは途方にくれたことでしょう。五千人もの群衆です。弟子たちが
見つけたのは、わずかに五つのパンと二匹の魚でした。
イエスは、この
『五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈り
を唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡して配らせます』
天を仰いで賛美の祈りを唱えることは、パンが、天の父である神から与えられたもの
であることを表しています。人間の命を養うパンは、ただの食物ではなく、人間の命を養っ
ておられる神が与えられたパンなのだと言うことです。
『賛美の祈りを唱える』
は、ヨハネによる福音書では
『感謝する』
となっています。パンをわたしたちに与えてくださっている神を賛美することは、神に感謝
することでもあるのです。
そしてイエスは、パンを裂かれます。当時のパンは円盤型のものでした。それを裂く
くのは、人びとに分かち与えるためです。自分だけで食べるのではなく、人びとに分かち
人間の命は、神によって与えられ、養われていること、そして人間の命は、他の人び
とと分かち合われていることが、イエスが
『五つのパンと二匹の魚を取り、賛美
の祈りを唱え、裂き、配らせる』
ことの中に表されています。この時、奇跡が生じます。五千人の人が満腹し、さらに残った
パンと魚は、十二の籠にいっぱいになるのです。
豊かになった現代の世界にも、飢えている地域があります。しかし一方で飽食のゆえ
に肥満に悩む人がいます。私たち現代人が、命は神から与えられたものであり、私たちが
食するものは、神から与えられたものであることに賛美と感謝の祈りを献げ、さらに食べ
物は、他の人と分かち合うものであると自覚したら、世界の有様は変わることでしょう。
五千人に食べ物を与えた奇跡は、単なる遠い昔の奇跡物語ではなく、現代にも生じ
得る物語となるように思います。そのためには、世界の有様を見て
『深く憐れむ』
心が求められます。
教会は、聖餐式(ミサ)を主日(日曜日)ごとに行っています。そこでもパンを取り、感謝
し、裂き、配るというイエスがこの奇跡で行われた動作が繰り返されています。イエスは今
も、私たちを深く憐れまれ、ご自身の命を私たちに与え続けておられます。それはわたした
ちにもまたイエスが持っておられた
『深く憐れむ』
心を与え、養おうとされているということです。
私たちには、この世界に生きるために、合理的な判断が必要です。しかし
『深く憐れむ』
心のない合理的判断は、結局のところ奇跡を起こすことは出来ません。
『イエスの心を、私たちの心にし、

世界に奇跡を起こすことができたらと、祈り求めましょう』
与えるために、分配するために、パンが裂かれるのです。