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カラバオの会について Page5
 それともう一つ、この本は『仲間じゃないか、外国人労働者』(明石書店)。

 カラバオの会が自分達の体験した事例と問題の分析として出したもので、これは、この「業界」では古典になっていて全国の運動の方向を作り出した本であったという風に思っております。

 外国人労働者問題というのは新しい問題であります。
八〇年代からのせいぜい十数年ですね。
だからカラバオの会が全国で一番最初に出来て戦い始めたのは八七年で、一三年目 になりますけれども、問題そのものが、だいたい一九八〇年代の半ば頃から顕在化して認識されてきたという新しい問題であるわけです。
ただ私どもは新しい問題に目新しく飛びついたという事とは違いまして、これにはこれの必然性がありますね。

 実は今、私の働いている教会は「なか伝道所」という風になっておりますが、『片隅が天である』を書いたときにはまだ「中村橋伝道所」と言っておりました。

一三年前にこの伝道所を始めるときに、在日韓国・朝鮮人の人権の問題をやるつもりでした。
それまでずっと横浜でやっておりましたから、それを続けるつもりで、在日の人たちの多い中村町という場所に小さな家を借りて開拓伝道を始めたわけです。

 ところがたまたまフィリピンに一年いて帰ってきた所だったものですから、(実は向こうで聖公会の宣教師の遠藤雅己さんと親しくさせていただき、たいへんお世話になりました。
帰ってきてこの伝道所を初めたとたんに、すぐ近くの寿町にフィリピン人がたくさん来ちゃっていて大変な状態だという話を聞きました。

 救援団体が今発足したところだというところに帰ってきたものですから、じゃあお手伝いしなきゃいけないかということでカラバオの会に参加しましたら、こちらの方が問題が緊急性が高すぎて、在日の問題の緊急性が低いわけではないんですけれども、救急車で飛び回るような。
本当に救急車に自分も乗ってみたことがあるんですね、血を吐いてかつぎ込まれて来た人を救急車で病院に押し込むという風に、そういう活動の仕方になっていきまして、それでそちらに巻き込まれていく。

結局、活動が寿の方に移っていってしまったものですから、そして在日の問題の方がだんだんご無沙汰しまして、申し訳ないですけれども、こちらの方で責任者にもさせられましたしということで、こちらに集中するようになっていきました。

 たまたま機会がありまして、寿の中に教団の神奈川教区がもうけている寿地区センターというのがあって、それを立ち上げるのに、私もかつてお手伝いした事があるんですけれども、その隣のアパートがぽっと空いちゃった。
これは押さえておかないと将来的にどうしても必要だと言うんで、それじゃあ私達がそこへ移っちゃおうということになりました。

 ぺトロじゃないんですけれども、年をとると帯を締められてあなたの行きたくないところへという、そんな感じでですね、行きたいか行きたくないかにかかわらず現実に引っ張られてそこへ行った。
そういう経過で、行った場所が「中区」で、元が「中村橋」で寿の「中」に入っちゃったから、そんな意味を含めてひらがなで「なか」というふうにしておこうと いうことで「なか伝道所」になりました。

 私は、在日の問題から、移住労働者問題に入ったという経過なのですが、その背後に実は私のルーツの問題がありまして、私の父親が植民地時代の朝鮮総督府の警察官で敗戦の時に光州にいたんですね、しかも特高警察であった。
そういう、いわば植民地にした側の戦争責任のようなものをずっと引きずっている。
これは日本社会の持っている問題を、私自身が自分の中に背負ってるわけであります。
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