エルサレム教区NOW

(1)エルサレム教区とは

 エルサレム教区はエルサレム・中東聖公会(管区)の中の一教区で、パレスチナ、イスラエル、レバノン、シリア、ヨルダンの5カ国にまたがる。教会数は全部で29、学校(6千4百人の学生)・病院(ベッド数2百)・障碍者施設・職業訓練校等の施設が35、聖職者は司祭が29人、執事6人、信徒数は約7千人、教会の諸施設で働く人は千5百人。信徒のほとんどは、アラブ系パレスチナ人であり、アラビア語を使用するが、ヘブル語も理解する。主教座聖堂はエルサレム市街にあり、アラビア語会衆・英語会衆がいる。
 この地におけるキリスト教会は初代教会にさかのぼるが、聖公会は1841年のCMSの伝道によって始まった。初期はユダヤ人伝道を意図したが、実際はパレスチナ人の間に広がっていった。
 パレスチナには、19世紀の初め、ユダヤ人は1万2千人しか在住していなかったが、ナチによるユダヤ人虐殺とシオニズムの高揚の中で、1947年にはユダヤ人は50万人に急増、イスラエルは建国を宣言、国連は領土の55%をユダヤ人に振り当てたが、パレスチナ人はもとより周りのアラブ諸国は、これを拒否、以後、中東戦争が度重なる。パレスチナ人は、土地や家を強制的に奪われ、虐殺され、第一次中東戦争だけで72万人のパレスチナ人が難民となり、国内を始め近隣諸国に逃げまどった。そうした経歴を持つ聖公会信徒は多い。
 ユダヤ教とイスラム教という宗教の狭間で、少数者のキリスト教、しかもその中でも少数者としての聖公会は、非暴力の信仰の戦いをよく続けてきた。アハリアラブ病院ではイスラエル軍の爆撃に傷つく人々を助け、学校では平和教育を行い、他の施設では孤児となった子どもの教育・職業訓練を行い、世界に平和の尊さを発信し続けてきた。 私たちは、この聖公会の仲間が、命がけで発信してきている生の声を、教区フェスティバルを中心にしたいろいろな場で、聞く事になる。

(司祭 神崎雄二)

(2)隔離の壁

 パレスチナ人がイスラエル政府によって抑圧されている事を目で確かめられる顕著な例が隔離の壁です。建設予定距離730km、高さ8m(ベルリンの壁の二倍)のコンクリートの壁を、イスラエル政府は膨大な金をかけて、パレスチナテロリストの侵入を阻止する為と主張してパレスチナ自治区に建設中です。 この壁が何処に建設されているかが問題です。パレスチナ自治区はパレスチナ人が自分達で自治をする地区であり、イスラエル政府からは干渉を受けない地域です。ところがこの自治区内に違法にイスラエル人の入植地がどんどん作られているのです。そこでイスラエル政府はこの入植地のイスラエル人を守る為にその周りに壁を作り、自治区を侵食する事になってしまうのです。従って必然的にパレスチナ人はこのことに猛反対しています。これは彼らの日常生活を脅かすものであり、彼らの人権を無視するものです。
 エルサレム市のはずれで建設中の壁を見た際は、びっくりするばかりでした。この日は雨が絶え間無く降っていて、パレスチナ人が住んでいる地域を二分して立てられている壁を見て、驚きわびしい思いをしました。また、パレスチナ人を隔離する方法は壁の建設だけではなく、高圧の電気を通した鉄条網、車輌が通れないほどの深く幅広の溝等も利用しています。
 この問題はオランダ・ハーグの国際司法裁判所で審議され、7月初旬に結果が発表されました。この裁判所の決定は拘束力の無いものとは言え、世界中の諸国家への影響は大きいと思います。15名の裁判官のうちアメリカ人裁判官1名を除き、全員が違法の判断を下しました。アメリカ人裁判官が違法と判断しなかった事は、米国のイスラエル政策の現状の難しさを表現しているのです。 隔離の壁の一事を通してだけでも、パレスチナ人が置かれている非人道的な統治状況を理解していただけるものと思います。

八幡眞也(管区事務所渉外主事)

(3)平和を実現する

 この2月、植田主教のパレスチナ訪問の随行員の一人として、キリストがそのご生涯を過ごされた地で、今を生きる人たちと出会う機会を与えられた幸いを感謝しています。
 パレスチナ人が自分の土地に住みながら、ゲットーか牢獄に閉じこめられているような生活を強いられ、時に強大な軍事力に素手で立ち向かわざるを得ない状況にあることを、肌身で感知する経験でもありました。
 そのような苦境の中で、私たちが出会ったキリスト者が、絶望にではなく、希望に生きておられることは驚きでした。「希望に生きる」と言っても、単なる楽観主義や、座してひたすら祈るというようなことではなく、それぞれの生活のなかで、今なすべきこと、できることを最大限努めての「希望」なのです。そこには神さまへの揺るぎない信頼があることを知らされます。
 ベツレヘム近郊の村で、無惨にも破壊されたオリーブの森や畑、それを見下ろすイスラエルの城塞のような住居を私たちに示し、このことを伝えてほしいと訴えたスザーンや、自分たち以上に、存在を無視され、顧みられないベドウインの人々のために働くスーザンの姿などはほんのその一例です。
 クリスチャンは独自の働きとともに、イスラムをはじめ他宗教の人々とも協働しています。日本のNGO「パレスチナ子どものキャンペーン」は、大虐殺があったとされるジェニンに日本人女性を派遣し、心身に深い傷を負った子どもや母たちのために、癒しと育児支援活動を地元の人と協力して行っています。
 平和を実現する業は、それがどんなに困難であっても、諦めないで、継続することだと思います。同じ志をもって苦闘しているノン・クリスチャンと協働することも含めて。神さまは、すべての人を通して、すべての人のために働かれるのですから。

松浦順子(NCC女性委員会委員)


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