主教 植田仁太郎
十二月に入ると、町は、クリスマスの飾りやイベントの解禁の時と考えているようです。それは、イスラム教社会を除いて、世界中の都市で共通の現象のようです。元々は、キリスト教の根付いた社会で生まれた、多種多様な“クリスマス文化”が商業主義とともに、世界的に広まってしまった結果でしょう。 クリスマス――カード・ケーキ・プレゼント・ツリー・キャロル・パーティー、これらすべてがこの“文化”の一部だと言って良いでしょう。 キリスト教会の人間は、自分達こそ、クリスマス(イエス・キリストの誕生)を祝う、正当な資格を持っていると自負し勝ちですが、その教会の中にもその“文化”がかなり侵入していることも確かです。その文化は、必ずしも嘆かわしいことでも、憂うべきことでもないでしょう。いわゆる世俗でどんなクリスマスの迎え方があろうとも、教会の本来の迎え方、すなわち心静かに、「救主」たる方の存在の意味と、その方に応答すべき私たちの日常に、心を向ける季節だと思います。教会の定めているアドベント(来るべき方を迎える)季節とは、そのことを言っているのでしょう。