主教 植田仁太郎
暑い夏と、それがいつまで続くのかと思われるような、九月・十月の日々が過ぎ、ようやく秋を感じる季節になったようです。 「実りの秋」とよく言われますが、稲刈りは、まだ残暑厳しい頃に、とっくに終わってしまうのが、この頃の農家のサイクルのようです。それでも、都会を離れると、柿が見事に色付いていて、ようやく秋を感じさせてくれます。 人間の労働と自然あるいは神の恵みが相まって、私たちに実りを得させてくれるようです。そういう自然を通しての神の恵みを語るのに、聖書は、「種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋や倉も持たない」カラスさえも、神は養って下さる、と表現しています。カラスという私たちが半分小馬鹿にしている、美しくも何ともない鳥にさえ、神は目をかけている、人間の生活に何の役にも立っているようには見えないカラスにさえ、神の恵みが与えられている。ましてや、カラスよりはるかに価値がある人間に、神が目をかけ、そのいのちを支えないはずがあろうか、という論法で、神の恵みのあまねく注がれていることを、伝えようとしています。 私たちは、ややもすると神の愛は、その神の愛を受けるにふさわしい(立派な?敬虔な?)人間に注がれると考えがちですが、このカラスへの神の愛のたとえは、まさに役立たずで何の生産もしていないように見えるいのちの営みにも、神は目をかけていますョという教えです。だから、クヨクヨせずに神さまに私たちの身を委ねなさい、と。