NSKK 日本聖公会 東京教区
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大災害と神

主教 植田仁太郎

 ミャンマーと中国で大災害が発生しました。それぞれの国の政府の思惑があって、その大災害の状況が必ずしもストレートに報道されておらず、もどかしい思いをしています。
  それでも、サイクロンと大地震で何万人いう人々が亡くなり、何十万、何百万という人々が被災したことは確かで、この方々が、通常の生活に戻ることがいつできるのか、いつ復興が果たされるのか、気が遠くなるほどです。
  信仰者は、このような災厄が人間に何故ふりかかるのか、と深刻に問わざるを得ません。ミャンマーや中国の被災者が、とりたてて人間として落度があったわけではありません。いわれのない苦難を強いられることになりました。これほどの大規模な災厄でなくても、私たちは人生の中で様々な不条理に出会うことがあります。当人や周囲の人々の責任は全くないのに、不慮の事故や病気に襲われます。
  神は、どうしてそのようなことが起ることをお許しになるのか、神は慈しみ深い全能者ではないのでしょうか。この問いは、人類が何千年にもわたって問い続けていることです。二千五百年前に書かれた旧約聖書「ヨブ記」は、このことをテーマにした戯曲です。ほんの二百年ほど前までは、人間の自然現象についての知識は極く限られたものでしたから、「全能者」がすべてをコントロールしているに違いないと考えてきたとしても当然でしょう。
  しかし現代では、地震やサイクロン(台風)が起るメカニズムはある程度分かっています。同時に、神さまが、あらゆる自然現象や個々人の人生の成りゆきを、すべてコントロールしているわけでもないと、私たちは理解しています。神さまが、苦難を造り出しているわけではありません。
  人生に避けることのできない苦難を、乗り越える力を与えてくださるのが神さまです。