キリスト教会の功罪 主教 植田仁太郎 |
キリストに従い、神を信じ、日々信仰をもって生きるということは、純粋に個人的な営みのように思える。しかしそうではない。そのように生きる人々を活かし育てる、教会という共同体が介在する。 その教会は、イエス・キリストの死と復活を経て、形成されることになった。その教会が社会的勢力を持つようになって、世の中の動きや歴史に、様々な影響を及ぼすようになった。キリスト教信仰が世の中に貢献した点は今さら挙げるまでもない。教育や医療や福祉の分野で先駆的働きをした。学問や芸術の発展にも力があった。 同時にキリスト教信仰の故に、世の中に負の遺産を残してしまったことも、私たちの現在の信仰を反省するために、忘れてはならないだろう。最近、アメリカ聖公会では、奴隷貿易禁止から二百年目を記念して、「懺悔の礼拝」が行われた。アメリカの南北戦争後の「奴隷解放」の宣言があって、それでも、形を変えて奴隷の身分は、十九世紀末まで残っていたという。こんな最近まで、特に西欧で奴隷制という悲惨な制度が残ったのは、聖書に「奴隷は主人に忠実に仕えなさい」という一節を含めて、奴隷制の悪は指摘されていないということから、それを正当化してきたことの中に大きな原因がある。これは教会の犯した罪のほんの一例である。 キリストを信じる者が、みずからの敬虔と清さと謙遜とを深めることは、もちろん大切なことである。同時に、みずからの信仰の広がりと信仰者の共同体(教会)の在り方にも絶えず神の導きを祈ってゆきたいものである。
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