インフルエンザ騒ぎの中で 主教 植田仁太郎 |
5月始めの、新型インフルエンザの発症報道以来、日本中が大騒ぎになった感がある。私の関係している諸学校では、どこでも、その対応に苦慮している。日本国内で最初に発症が疑われた高校生の属する高校の校長先生は、まるでマスコミから悪者扱いされているようで、実に気の毒な感じがした。いわれのない責任を追及されているようなのは、どこかおかしい気がする。 そして、その追求をあらかじめ避けようとしたのか、もう駅に集合していた修学旅行の生徒たちも、旅行を中止させられたということもあった。幸い、症状も軽く、大流行にも今のところならなかったのであるが、そして、関係者の涙ぐましい対応には敬意を払うのだが、ある病気が発生し、伝染してしまう、という事態は、そもそも誰かの責任(・・)なのだろうか、という疑問が残る。もちろん、いのちにかかわる病気が発生しない方が良いし、伝染もない方が良いに決まっている。 しかし、人間の世界と、人間の生命体に生じることが、本来すべて人間の手によってコントロールできなければならない、という考えがこの大騒ぎの根底にあるのだとしたら、――どうもそういう傾向が見え隠れするのだが――それは恐ろしいことである。 人間は、天変地異も、社会現象も、生命の現象もコントロールできない。信仰者は、そのような謙虚さを常に抱きつつ、なお、人間として最善の努力によって、生命と人間性を脅かす事態に、立ち向かうだけなのだろう。誰かの責任だ、と犯人捜しをする必要はない。
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