梅上山光明寺住職(浄土真宗本願寺派) 石上 和敬 師(2) 11月24日 午前
昨日の話しをさらに発展させて、実際に東京でお働きになって、感じていらっしゃること、悩んでいらっしゃること、今後への期待、お考えを、特に門徒の方々とのやり取りの中で思っていらっしゃること、体験談、経験談をお話して頂きます。その後我々の現状を踏まえて、あるいは我々の訓練、後輩の育成、教会と社会等々課題も沢山在りますので、互いにシェアーしたいと思います。
高橋先生から頂いたレジメにそって話しをさせて頂きます。思いつくままにということになってしまうことをお許し頂きたいと思います。
門徒さんとのかかわりの中で願っていること
我々が門徒の方と接するのは現実的には仏事ということを通してです。仏事は広い意味で、ご法事だけでなく、お彼岸、お盆なども含めて、私たちの所には墓地が境内にありますので、お墓参りという日常的なことを通して仏事と考えています。昨日先祖供養の話しが出ていましたが、真宗では追善の供養ではなく、緩やかな意味で先祖供養を通してのお付き合いが多いのです。キリスト教は毎週日曜日毎の礼拝があり、必ずしもご先祖供養と結びつかなくとも、信仰を中心に信者の方と接する場がおありになりますが、我々の方は幾つか場を設けてはいますが、基本的には仏事を通してということであります。
ですから、仏事をどう位置づけるかが課題です。仏事はご先祖を偲び、ご先祖とのふれあいが入り口としてはありますが、その意味をより深めるためには、仏教的には亡くなった方をどう捉えてゆくか、より深い仏教の考え方を少しでも学びとり、感じとって頂ければありがたいと思っています。
先祖供養とは別に仏教の勉強会、法話会を月に三、四回開いているが、門徒さんだけでなく、知り合いの方など自由参加の方の方が熱心です。本来中心になって欲しい門徒さんは、お墓がそこにあって、いわゆる菩提寺があって、今までのまま、先祖供養にこだわって考え方が固まっているのかなという気がします。
私の個人的な願いとしては、キリスト教のように日曜日に信者の方が集まって、信仰について深めていく機会が形として設けられると良いなと思いますが、法事が土・日に詰まっていて時間をとることは頑張ってもできにくいのです。勉強会、法話会もウィークデイの昼間、夜という形になります。学校も週休二日制になりますから、少し考えなくてはと思います。土曜学校とか日曜学校をやっていらっしゃるお寺さんもありますが、基本的には法事などの関係できついというのが現状です。
昨日も申し上げましたように、門徒さんとの関係は、仏教という宗教、信仰を伝えてくれる人というよりも、親しい親戚、友人、知人として、寺の者を受けとめてくれているように思います。相談事、困ったことを質問されたりすることは稀です。対等な関係であり、教える立場にはありません。キリスト教のように、聖職の方が信者の方に伝えるという形がきちんとできていません。お寺ごとに門徒との関係はばらばらです。門徒の方を教え導くという考え方ではなく、まず親しい関係が構築されることが大切でしょう。親鸞上人も言っているように、「仏様の前には皆恥ずかしい存在であることを共有しよう」ということが真宗の教えですから、教え、導くということにならないのは教義的な面からいうと良いことなのかもしれません。そんな風にも思っています。
若い僧としての悩み、今後の期待
仏教の場合、江戸時代からの檀家制度というものが基準になっていますから、これをこれからどのように展開していくのかが我々の関心事です。檀家制度はだめになっていくのではないかというご指摘も多くありますが、ここ一四、五年、父が亡くなって後を継いでから、檀家が離れたりした経験はありません。知人の紹介などでご門徒の数は表面上は増えているので表向きには切実な問題はないのですが、各々のご門徒がどういう風にお寺のこと、仏教のことを考えておられるか、ということは非常に不安なところであり、わかりません。郊外に引越しされた方も多く、寺に行くのもよそ行きの格好をして行くようなことが多くなり、物理的な距離が遠くなると、心の距離も離れていくということはあります。
もう一つは、核家族化が進み、なかなか寺とのつきあいの仕方が伝わっていかない不安があります。家々の世代間の連絡が希薄になってきていると感じます。何々家というより、個々に対応していくようにしなければと思います。
浄土真宗に限って言えば、西本願寺系のお寺は、関東全域と静岡県、山梨県まで入れて東京教区を作っており、四二〇〜三〇ヶ寺しかありません。富山県などは富山教区と高岡教区と二つの教区を持ち、それぞれ何百という寺があります。大阪も八〇〇寺位あります。全国から潜在的な門徒は沢山首都圏に入って来られるので、東京のお寺が地方にあった時と同じような関係をどうやって維持できるか宗門にとっても課題です。
まずお寺の数を増やそうとしています。地方のお寺は広い境内を持ち、そのイメージで都市で始めるのは大変なので、普通の住宅の一室で始められる方もあり、地方から出てこられる方とニーズが一致しなくて難しいのです。
宗門としては地方から出てこられた方を近いお寺がケアーし、新しい関係を結べるように努力し、既存のお寺も一緒に考えていかなければと思っています。
住職としての立場からキリスト教を意識する時
門徒の方が結婚されて、お嫁さんがクリスチャンであるとか、門徒の方がクリスチャンになられた時にどのように考えていったらよいか住職として意識します。キリスト教は個々人の信仰が基本で、それが前提としてあるから、考えやすいのかと思いますが、親鸞上人の原則はそれとして、江戸時代からの檀家制度の中に家単位で考えるようになっているので、その中にクリスチャンの方がおられた時、我々がどのように接し、寺とどうつきあっていったらよいかは難しい問題です。
私の門徒の中に真宗の儀礼とか、仏事を拒否されるクリスチャンの方はおられないです。一般のご門徒の方と同じように表面的には問題にならないのですが、親しくなった時に、少しでも仏教の話しや勉強会に誘ってみたいけれども、またそういう方こそ誘いたいが、ぴしゃっと断わられたことがあります。
信仰が違うことでお墓に入る、入らないということが出て来るのかもしれません。仮定の問題として相談を請けた時は、残された方が一番困らないですむように、納得行くようにすることが一番良いと考えています。
▽質疑応答の中から
僧籍のある方は何人ですか
一二〇〇人程……@一年間、京都、東京、広島、大阪にある仏教大学に通う。A京都で二週間の教師研修を経て、得度を受ける――住職になる資格がとれる。B三年間の通信教育を受けるということになります。禅宗のような厳しい修業はありません。僧籍をもつ三分の一は僧職以外に別の職業を持っている在家の方です。
日本人の宗教感情についてお考えがありましたら
キリスト教も仏教も最初は外から入ってきたわけですが、その入り方が違います。仏教の中でも、渡来人説と遣唐使説、また日本人が求めて持ち帰ったという伝わり方の違いがあります。また仏教は中国に入った段階で中国なりに変容し、それが日本に入ってまた日本なりに変容しました。本来の仏教がどう変えられたかという視点でばかりみてしまう傾向がありますが、日本の思想の中でキリスト教、仏教がどう受入れられたかを探る方が意味がありそうな気がします。
都市開教ということについて
一〇万人当たり一ヶ寺を原則としていまする。仏事を縁として葬儀屋との関係から出発することが多いです。二年間のみ援助があります。
浄土宗と浄土真宗の関係について
他の所とよりは近いが、浄土宗は念仏を行とし、真宗は念仏は報恩感謝とする、という違いがあります。
エキュメニカルな動きについて
個々のお寺が独立しているので、上からの統制力はありません。同じような志を持っている寺同志がプライベートにやっていることを宗旨として応援することはあります。