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移住労働の実態 Page9
 結局、向こうの富をこっちに持って来てしまう。こうして資本本国に富が集積される。
日本やアメリカやヨーロッパにどんどんお金が貯まっていく。
向こうは物が持って行かれてしまって仕事がない、食べる物もないという状態が起こるわけです。

 そういう結果として、日本に人が来ざるを得なくなる。日本に来れば男性は三K労働、女性は風俗産業という形で、日本社会の最下層に組み込まれていくということなのです。

 これは私達が理屈の話としてではなくて、実感として、つまり横浜の寿町という寄せ場、山谷のような、日本社会でいえば最下層の場所ですけれども、それ以上落ちたら、あとは野宿して餓死・凍死しかないという、そういう最下層の場に、ドッとフィリピン人が来ちゃう。
何故かと言ったら、日本に来たとたんに、ストンと寿に来ちゃう地下水脈ルートが あったということですね。
 一人一人事情が違うんですけれども、まず来はじめた当時一二年前には、ブローカーかなんかにお金を払って、偽のパスポートもらって、成田に迎えに来て、そして仕事場にぶち込まれるわけですけれども、ぶち込まれたところがもう宿舎なんてものではない。
当時、私達の所に来た人達の話では、宿舎みたいな所はあったことはあったんですけれども、食べ物が何もない。鳥を食べるといったら、毎日、朝晩、三度三度、鳥肉ばかり食わされていた。
鳥をドッと持ってきて、これを食ってろと言って置かれたとか、たまりかねて逃げてきた。
それから工場の隅に棺桶みたいな箱があって、その中に寝かされたとか、庭の隅に廃車があって、その中に寝かされたとか、ともかく人間の待遇じゃないんですね。
そういう事で、低賃金で働かされたという経過があります。

 たまらないといって逃げ出すと、もうあとは何処も行く所がないのですね。
何処でも受け入れられない、結局寿に来れば、ともかく、当時のお金で一五〇〇円位払えば一晩泊まるところもあるということで、寿に来てしまうという経過で、寿にフィリピン人がドッと来てしまうというわけであります。

 ですから本当に理屈ではなくて事実、私なんか横浜に十何年住んでいてもほとんど足踏み入れたことのない様な、そういう場所ですね。
たまたま踏み入れないわけではなくて、 踏み入れないようにバリアーができているんです。
今、寿で青年ゼミというのを開きます けれども、女子の大学生達がたくさん参加しているんですけれども、彼女たちが、寿の周辺で道が分からないということで聞きますと、薬屋さんであろうと、交番であろうと、道を歩く人であろうと、必ず親切に、あんな所娘さんが一人で行くところじゃないよと、行かない方がいいよと、親切にアドバイスされて、つまり、まわりから見えないバリアーで囲い込まれた、そういう場所であるわけですね。

 そこにですね、フィリピン人が日本に来ると茨城県に来たはずなのが、次の日にはそこに来ちゃうという、ある地下の通路がつながっているんだということですね。
そういう形で日本社会そのものの隠れた問題が、顕在化してきているというわけです。
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